たぶん最初に書いておくべきだった

それでも書いていて気が付いたことだから仕方がない。

 

文体とは、あくまで人柄だ。ユーモアのないひとにユーモラスな文など書けるはずもなく、大まかな性格の人に神経質な文は書けない。文章技術より、自己発見のほうが先である。

 

父の三兄弟のうち誰が読んだのか、はたまた祖父のものかはわからなかったが、祖父の家の本棚にあった星新一の文庫本はあらかた読んだと思うし、自分でも何冊か買って読んでいた(とんでもない分厚さの愛蔵版は、図書館の貸し出し期限中に読み切ることができず挫折したが)。

そういう風に愛着のある作家の言葉に従って考えるならば、どのような文章を書きたいかとは、どのような人でありたいかでもあると考えたい。というのは、これから書くことが「これが自分の人柄だ!」というにはおこがましいように思うので、こうありたいというものだと受け取ってもらえたらという希望を含んでもいる。

 

「先生」の言葉で印象に残っているとか、自分を方向づけたとか言えるものが3つある。親しい人には何度も話したことがあるから、またその話かと思われるかもしれない。高校の生物の先生と、塾の数学の先生の話はまたの機会にして、今回は中学の国語の先生の話をしたい。

 

中3の国語の先生(本当は当時呼び捨てで読んでいたけれど、ちゃんと先生と呼ぶ)は、とにかく正解のわからない授業をする先生だった。魯迅の「故郷」なんて特にすさまじかった記憶がある。

「ここにこのように書いてある、こっちにはこういう風に書いてある。つまりどういうことかわかるだろう?あとは自分で考えてみるんだ。」

みたいなところで授業が終わって、結局よくわからないまま試験に臨み散々なことになったのは一度や二度ではない。

それでも先生に言われたことが残っているのは(別にその後の高校の国語の先生とウマが合わなかったからではなく)、ただ単にその1回だけ先生に褒められた(と思う、たぶん)からだと思う。

 

その日の授業は確か、いくつかの俳句の中から一つを選んで鑑賞文を書いてくるという課題が出ていて、その中で先生が気になったものをピックアップし、授業内でコメントするというものだった。

自分が何の句を選んだか記憶が定かでないが、とにかく桜のことを詠んだ句だった。

その鑑賞文の結びに書いた内容に先生は言及した。

 

桜はその花を咲かせる時、樹皮の裏までピンク色になるのだという。全身をピンク色に染めてゆき、最後に花に到達するのだ。花が咲くのは一瞬のことだが、その何より大切な一瞬のために全身全霊をかけている。命とはその瞬間のためにあるのかもしれない。

 

そんなようなことを、おそらくもっと稚拙な文章で書いた。先生のコメントはこうだった。

「これを読んで思い出すことのある者はいるか。」

続けて黒板に書かれたのは

言葉の力

どきりとした。「言葉の力」というのは中学二年生の国語の教科書に出てくる題材だ。詩人であり評論家の大岡信さんの文章で、非常に美しい言葉で書かれているのでぜひ読み直して(私と同じ教科書を使っていれば一度は読んでいるはずなので)ほしいのだが、敢えて不遜にも概要を書くとすればこんなところだ。

 

染織家の方に話を聞く機会があったとき、なんとも美しい桜色の織物をみせてもらった。何から取り出した色かと尋ねると桜からだと答えがあったので、てっきり桜の花びらを煮詰めて出したのかと思ったがそうではない。実際には桜の樹皮から取りだした色だという。桜の花が咲く直前の季節に樹皮から取れる色なのだと。桜はその全身で懸命にピンクに色づいており、普段私たちの目に触れる桜の花びらはそのほんの先端に過ぎなかったのだと気付き、非常な感銘を覚えた。

 

まさしく私の鑑賞文はこの「言葉の力」から着想を得て書いたものだった。よりによって国語の教科書の内容を自らの知識のように書く浅はかさをとがめられるのではないか。中学生の私は冷や汗をかきながらできるだけ小さくなって座っていたが、概要を話し終えた先生から次に出てきた言葉は予想外のものだった。

「この文章は、ここにいる全員が読んだことがある。だが、それをこの課題で自分の文章の中に入れてきた者は他になかった。触れたものを自分の中で噛み砕き、自分の言葉に昇華し、使っていく。これが学ぶということだ。」

あっけに取られて、どうやら悪く言われているわけではないらしいと理解するのに少し時間がかかった。返ってきた鑑賞文のプリントには「折口信夫」とだけ書かれていて、

「桜について書いた文章がある。読んでみるといい。」と言われた。

 

もう一つ、先生の授業で印象的だったものがある。

地元愛媛県には俳句甲子園なるものがあり、野球の方の優勝校が決まった頃に全国の高校生が松山に集まる。一つのお題について句を詠み、お互いのそれについてディベートを行う。句の出来ばえとディベートの内容をもって審査員が勝敗を決める。確かこんなルールだったと思う。

夏休み明け、おもむろに黒板に書かれたのはその年熊本信愛女学院高校が詠んだ一句だった。

 

夏草や コペルニクスの 大欠伸

 

先生によると、対戦校であった愛光高校つまり私の先輩は、ディベートでこのように指摘した。

「なぜ、夏草の上で大欠伸をしているのはコペルニクスなのか。同じ地動説の天文学者ならガリレオガリレイでもよいのではないか。」

この問いに熊本信愛女学院はうまく切り返せず、結局愛光高校が勝利した。

 

「しかし!」

 

バンバンとチョークで黒板を連打する音に意識が引き戻された。

 

「これは絶対にコペルニクスでないといけない。」

「愛光は幸運だった。もし熊本信愛がこの質問に答えられていたら、それはすなわち自分たちの考察の甘さを晒すことになり、負けていただろう。」

 

まあそれを答えられないのであれば、教師が考えた句なのかもしれないが、とかなんとかぶつぶつ言ったあとに先生は続けた(母校、そして相手校の先輩方の名誉のために、あくまでも先生の考察であることは再度言っておきたい)。

 

「なぜガリレオガリレイではいけないのか。それはガリレオコペルニクスには決定的な違いがあるからだ。」

 

先生によるとこういうことらしかった(これ以降は先生の話を私が記憶しているママとし、真偽や学説との整合は問わないこととする)。

 

ガリレオコペルニクスも同じ地動説を提唱した天文学者だ。

この句を単に夏草の上に寝転び星を見上げる天文学者の描写と捉えるのであれば、どちらでもよいように思われるかもしれない。

しかしこの句は「大欠伸」と続いている。

両者の違いは、教会が天動説を唱えた時代にどのように行動したかだ。

ガリレオの有名な言葉「それでも地球は動く」は、彼が地動説を唱えたことで異端尋問にかけられたあとに発したとされている。

一方コペルニクスは地動説の再発見をしながら生涯それを公にすることはなく、その学説は彼の死後ようやく明るみに出た。

両者の違いはまさしく、偉大な自らの発見を、その時代の荒波の中で表に出す決断をしたか否かだ。

 

君たちならどうするだろうか。世界をひっくり返すような自らの発見の偉大さに気が付いたとき、たとえ孤立無援になったとしても正しさを主張し続けることができるか、それとも後の時代へ希望を託し波に身を任せて生きることを選ぶか。

 

そこでこの句を見てほしい。

 

自分の説が正しければ、見上げる星空は自らの周りを回っているのではない。

その説を唱えることは、自分がそれをどんなに正しいと信じていても、自らの人生を脅かすことである。

そんな複雑な思いを抱かせる夏の星空を見て、それでもなお大欠伸ができるのは彼らの生涯を比較すると、従容として現実を受け止め生きたコペルニクスだけだろう。

 

 

長々と書いてしまったが、つまるところ私はそういう文章を書きたいのだと思う。

桜の話もコペルニクスの話も言うところは同じだと思っている。世界史の勉強を多少なりともしていれば、穴あき問題に入るのがコペルニクスガリレオガリレイであるかを選ぶは難しいことではない。しかし、その生涯に思いを馳せ、自らの気持ちや考えの表現に彼らを落とし込むのは、もっと誠実で実直な向き合いと、自分の中の点と点を線でつなぐための慎重な記憶の整理が必要だと思う。

 

オリジナリティ溢れる発想や、ひらめきは残念ながら持っていない。それでもこれまでせっせと集めてきた記憶からエッセンスを取り出す作業の中には、自分だけの何かが1滴でも混ざっていると思いたい。

本を読むとそれがはっきりするような気がする。何を感じるかは、何を思い出すかに直結していて、そのままでは霧散してしまう感情を集めるのは、冷たい液体をコップに入れると空気中の水分がしずくになって付着するようなものかもしれない。

 これまで感じてきたこと経験してきたことの記憶をコップにできるだけたくさん詰めて、それを読後の感情の中で振り回す。くっついてきた水滴をまたコップに貯めて、次の湿原へ。その営みのために、少しずつ感じたことを書き留めておくことにした。