読書感想文 あん/ドリアン助川

「汚れ」と「穢れ」の違いをコップに入れた尿に例えた話を思い出した。

コップに入った尿が飲めるかと言われたら飲めない。「汚れ」ているから。

では、その尿を捨てて、コップを完璧に洗って殺菌消毒すればそこに水を入れて飲むことができるかというと、やはり躊躇してしまう。これが「穢れ」である。

 

ぼんやりと映画化していることは知っていた。樹木希林の晩年の出演作。あらすじを読んで、このおばあさんの役を演じている樹木希林というのがありありと浮かんできた。

真意の読めない訳ありげな老婆の役で他に変わる人はいないだろう。

 

根底に重たいテーマが横たわる一方で、文章自体は柔らかく、桜の花びらとあんこの甘い香りがするようだった。メッセージが確かにある一方で、押しつけがましくない。

「こうしたらいいじゃありませんか。ま、そうしなくたっていいんですけどね。」

そんな雰囲気だった。

印象的だったのは終盤の森山さんの言葉

「ああ、またやっていると思ったの。」

「トクちゃん、気に入った人が現れると、あれをやってしまうの。」

主人公たちへ向けられた言葉は、徳江の長い人生経験を裏付けとしたもので、過去に囚われる苦しさ、未来への漠然とした不安を抱く下の世代へ強いメッセージ性を持っている。そこに、徳江と同じような経験をしてきた森山さんからこの言葉が添えられることで、メッセージに共感できなかった人にも寄り添う、過度の一般化をし過ぎない物語にまとまっているように思った。

それは作品の終わり方にも表れているように感じた。これをハッピーエンドと言ってしまうのは少しもったいないように思う。

何かの予感はあるが、それが前向きに進んでいくか、ポジティブな結果をもたらすかはわからない。あまり言うと物語の核心に触れてしまうので避けた方がよいのかもしれないけれど、そういうある意味尻切れトンボのような形で終わってしまう。余韻、ということでもないように思った。

これから主人公が、ワカナちゃんが、徳江の言葉から何か行動を起こすのか、それによって二人に幸せな結果が訪れるのかどうかはわからない。けれどそれこそが正解はひとつではないどころか、なくったって構わないという物語全編に通ずる姿勢だと思う。

 

冒頭の話に戻ると、「穢れ」はつまり周囲の気持ちの問題である。「汚れ」は取り除くことができても、「穢れ」はそれを見る周りの意識である以上、簡単に解決するものではない。だからこそこういう終わり方をしたのかもしれないと思った。

実際、徳江自身にも主人公たちと関わったことによる「救い」はあったのだろうかと考えると、そうとは言い切れないと思う。どら春のオーナーがその役を担う「周りの人」の変化は描かれていないし、なかったと言ってもいいと思う。

しかしその事実に対面してこそ、徳江の言葉が深みを増すのかもしれない。冷たくあり続ける世間の中で、どう生きるか。ままならない世を生きる以上、どうあってもそれが自分自身であり、それこそが尊いことだと。

 

話は変わって、お菓子作りには普段の料理とは違った色合いがあると思っている。

ハレとケで言えば、お菓子作りはどちらかと言えばハレの作業ではないか。工程も洗い物も晩ご飯のおかずを作るよりもずっと多くて、一つでも順番や重さを間違えると膨らまなかったり固まらなかったりする。正確な手順と分量で、清潔な器具に丁寧にクッキングシートを敷いて、混ぜる道具を泡だて器からゴムベラに持ち替えながら、長い焼き時間を経て完成する。

本作を読んだあとに、思い立ってケーキを焼いてみた。スフレのようなカステラのような生地をパウンド型に入れて焼く。くちどけのいいふわふわの生地を作るために必要なのは、しっかり固く泡立てたメレンゲだ。慎重により分けた白身(少しでも黄身や水分が入ると泡立たない)を冷蔵庫で直前まで冷やして、砂糖を加えて一気に泡立てる。砂糖は2~3回に分けて加えた方が泡立ちやすいが、一気に加えた方がきめの細かいメレンゲになるのだという。一人暮らしの家に電動のホイッパーなんてなく、100均の泡だて器で肩、背中、腰すべて痛くなるまでカシャカシャ泡立てる。角が立つようになったら、その3分の1を他の材料を混ぜ合わせた黄色い生地に加えてなじませる。今度は、その生地を残りのメレンゲ側のボウルに入れて泡がつぶれてしまわないように混ぜる。蒸し焼きにするオーブンは10分に1回扉を開けて蒸気を逃がしてやって45分……

「ネガティブな思考を打ち消すものは、ポジティブではなく没頭だ。」という言葉を思い出す。ちょうどうんざりするようなことが続いていた梅雨の日の数時間、世界に自分と生地だけになって向き合っていた。油断すると思い出してしまう、傷ついたこと、腹が立ったこと、言い返すことを諦めてしまった自分のやるせなさと非のある部分。そういうものは全てどこかに行っていて、考える暇もなく目の前の卵2個分の白身が少しでも固くなるように手を動かし続けていた。おまけにオーブンから取り出したふかふかのケーキを食べることにも集中しないといけないとなると、当分は再度考える暇もなさそうである。

 それぞれに何かを背負う登場人物たちが、せっせと丹精をこめてお菓子を作っていったのは、こういう理由もあるのかもしれないと思った。

卵をたっぷり入れるお菓子にはバニラエッセンスを入れない方が好きだ。焼きたてのときはメレンゲの味が強くて、冷めて落ち着くと濃い黄身の匂いがする。

きっと電動のホイッパーがあった方がもっと色々と作れるのだろうけど、しばらくはマニュアル仕様でガシャガシャやろうと思う。

 

 

町の小さなどら焼き店に働き口を求めてやってきたのは、徳江という名の高齢の女性だった。徳江のつくる「あん」は評判になり、店は繁盛するのだが……。壮絶な人生を経てきた徳江が、未来ある者たちに伝えようとした「生きる意味」とはなにか。深い余韻が残る、現代の名作。